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今年はイベントの数は削ろうと考えてます。

発言しなくなってもtwitterはちょこちょこ見えてますが、ちょっと見方が変わりました。

昔にも軽く書い…てはないかな。書くか。

感情の爆発をみんな案外色んな所で大小様々してるんだなあ、
と思いながら見るようになりました。

傍観者と言い切るつもりはないですが、果たして自分がああいう風に、
勿論自分のフィルターは用いるけども、書いたらどうなるのかな、と頭を過ったりしましたが、
恐らく書こうとしても書けないだろうな等と。

何か煩っている様に書くのが恐縮なんですが、
ここ2、3年は自分の事を他人事の様に扱う事が増えてました。
何か自身に問題が起きても、それを外側から見るイメージで、
色々と解決してきた訳です。自身の客観視は2008年から心がけている事でした。
そこまでは自分が自分がと言い続けていたのですから、そりゃあ矯正方法も極端で。

当時から残っている物はそのままそれをしていると思いますが、
新しい事や自信が無い事についてはとんとそれが出来なくなりました。
これを節度というか臆病というか落ち着きというかは状況によるかと思います。
少なくとも今の僕には臆病、という単語がしっくりくるかなと。

臆病になった結果、他人に対してどうこう、という感情をあまり出さなくなった気がします。
特に攻撃性がある物から消えて行ったような。
喜怒哀楽で言うところの怒と哀ですね。
不機嫌にはなるものの、感情に任せてどうこう、は無くなりました。

感情が二つ、相当欠落していると考えると、
それに付随して色んな物も抜けて行きます。
客観視しかしなくなったせいで色んな物を他人事として捉える様にもなってしまっていて、
両者共にこれはまずいな、と危機感を覚えている感じです。
一種の病気として考えて良いと思っています。

「病は気から」というのは2008年の際に散々解っているので、
誰がどうこう出来る問題だとは全く思っていません。
ただ、自分でどうにかしなければ、という問題ではあると思っています。

考えてもどうしょうも無ければ行動するしかない。
行動するとして、何をすべきかという所をきちんと考えないといけないのだけど、
音楽ゲーマーが普通の音楽をなかなか聞かない様に、僕は新しい事に臆病です。

それを乗り越えるのは殆どの場合、勇気か自暴自棄でした。
前者でも後者でもどっちでもいいんですが、
どっちか覚悟決まるタイミングがあればな、なんて思っています。

心理学ちょっと触るか。