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今年はイベントの数は削ろうと考えてます。
↑この「今年」がいつのことだかもう覚えていません(2024 追記)

都の条例規制の話がよくtwitterで流れてくる中、こんな話を見た。

「大人達は規制をする、それは教育の放棄である」

ハッとした言葉で。

言われてみればそうだ。
大抵の人は、大人になればなるほど、誰かに言ったネガティブなセリフを、違う誰かに言うのが面倒になる。
いつしかそのセリフを吐かせるような人間とは付き合いを無くす。
面倒だからだ。

知識と技術に年齢は無い、と思っていますが、
年齢で語るなら人間関係だけは経験話、そんな気がしていて。

良いかどうかは人によるとは思うけど、僕はこの事を見て思ったのは、
少なくともその「誰か」にもよるけれども、ダメな部分はダメだ、と言ってあげなくては。
もちろんどうするべき、という話もセットでだ。
そしてそれが難しいのも、勿論わかっている話で。
一方的に「アリャダメだ、アイツはダメだ」なんてナンセンスなのは勿論無しだ。

技術や知識の話は僕には出来ない。
ただ、道理の話だけはまだ間違えずにやる自信はある。

人の考え、行動、あえてここではそれらをまとめて「正義」と言うけども、
その正義が気に食わないと、意見をぶつけてこその関係があるのではないか。
「俺はこうしたほうがいいと、こう思っている」と言葉を考えて投げるべきではないか。

そしてそれを投げる時に、その人にきちんと対峙できるだろうか。
その人の人間性に立ち向かって、話す事が出来るだろうか。
上から目線でなくて、横からグービンタで教えることができるだろうか。

同じ事を、繰り返して、様々な人に言い続ける覚悟。
人に教えてもらった分、人に教える覚悟はあるだろうか。

貰いすぎだと思うんだよ。
俺の人生。